2018.05.27

ホテル特集『BOY MEETS SHE, 〜京都夜遊〜』共同編集者トークイベント 前編

異なる道筋でたどり着いた、 ふたりの「ホテル=メディア論」。

Credit :
インタビュー・文 / 土門 蘭、 撮影 / 延原 優樹

マガザンの今回の特集内容は「ホテル」である。

ホテルが「ホテル」を特集する。
私がそれを知ったとき、これは「ホテル」としてのマガザンにとって、アイデンティティーの再構築となる特集だと思った。「自分にとってのホテルとは何か」の再定義。様々なホテルが乱立する今だからこそ、ホテルとしてどうありたいかの意思表明が必要だっただろう。

そしてマガザンは、「ホテル」であると同時に「雑誌」でもある。自分だけではなく、他者と組み化学反応を起こすことで価値を生み出す場所だ。

マガザンを構成するふたつが組み合わさる、とてもおもしろい特集内容だなと思った。

共同編集者は、HOTEL SHE,などを手がけるホテルプロデューサー・龍崎翔子さん。
現役の東大生であり、22歳という若さですでに4つのホテルを立ち上げた経験を持つ彼女のことは、この特集が組まれる前から存じ上げていて、インタビュー記事も読んだことがあった。

ミレニアル世代、デジタルネイティブ世代……彼女はそういった文脈で語られることが多く、スマートで洗練されたイメージがある。だけど実際にマガザンでお会いした彼女は、より土着的に、より身体的に「ホテル」を捉えている、ひとりの骨太なホテル経営者だった。

彼女はマガザンに集まるゲストひとりひとりの目をしっかり見て話し、笑い、気遣い、もてなす。その様子を見ながら「ああ、ホテルの現場でずっと働いてきた方なのだな」と思った。

彼女の話し方にはとても説得力がある。「彼女が作ったホテルなら泊まってみたい」と思わされる力。ずっとホテルのことを考えて行動してきた基礎体力が、言葉に説得力を持たせるのだろう。岩崎くんが共同編集者に彼女を選んだ理由が、なんとなくわかったような気がした。

岩崎くんと龍崎さんの共通点は、「こういうホテルを作りたい」というのが、とてもはっきりしているところだと思う。自分にとってホテルとはこういうものである、という芯がしっかりしている。

それでいて、ふたりはまったく異なる道筋でホテルにたどり着いている。様々な企業での会社員を経てホテルに至った岩崎くんと、小2の頃からホテル一筋で走り続けた龍崎さん。そんなふたりが組むことで改めて言語化され、表現される「ホテル」とは、一体どういうものなのだろうか。

5月6日。ホテル特集『BOY MEETS SHE, 〜京都夜遊〜』のオープニングとして、岩崎くんと龍崎さんのトークイベントが行われた。当日は立ち見も発生するほどの盛況ぶりで、どのゲストも熱心にふたりの話を聞いていた。

「ホテルはメディアだと思う」

そのキーワードを紐解くふたりのホテル経営者の対談。本記事はその記録である。

マガザンキョウトとHOTEL SHE,とは

岩崎: 

まずは自己紹介から。マガザンキョウトの岩崎と申します。ここマガザンは、2016年5月に創業してもうすぐ丸2年になります。「泊まれる雑誌」と銘打っているのですが、機能としては宿泊機能、物販機能、イベントスペースを内包した、非常にコンパクトな一棟貸しの町家です。

「雑誌のように季節ごとに特集を展開していく」というのが特徴なんですけど、雑誌っていろんな特集がありますよね。「京都」特集とか「雑貨」特集とか。それを季節ごとに空間でやったらどうなるのかというチャレンジを重ねています。

龍崎: 

初めまして、龍崎と申します。私はホテルプロデューサーという肩書きで仕事をしております。具体的には、北海道の富良野でペンションをやるところからスタートし、京都、大阪にHOTEL SHE,を立ち上げ、その後、湯河原にTHE RYOKAN TOKYOを手がけました。今は、北海道の層雲峡という場所で、80歳くらいのおばあちゃんが切り盛りしていた観光ホテルを引き継ぎ、ホテルクモイとしてリニューアルオープンの準備をしております。

私が何よりも大事にしているのは「土地の空気感を織り込んだホテルを作る」ということです。住民でさえ言語化できていないその街の魅力を形にし、なんらかのアイコンに託して、お客様にシームレスに届けることを大切にしています。

岩崎さんとは1年ほど前に知り合いました。もともと、岩崎さんがクラウドファンディングでこの宿を始められるころから知っていたのですが、共通の友人を介してあれよあれよとつながりまして、ある日雑談をしているときに「ホテルってメディアですよね」と盛り上がったんです。それがきっかけで、ホテル特集をご一緒することになりました。

岩崎: 

今日は、ホテル特集の共同編集者であるHOTEL SHE,の龍崎さんと、「ホテルをメディアと捉えたときの視界」というテーマでいろいろとお話できたらと思います。どうぞよろしくお願いします。

ホテルは何と何をつなぐメディアなのか

岩崎: 

僕と龍崎さんは、「ホテル」というものを考えるときに、お互いに同じ言葉を使っているなってことにある時気付いたんですよ。それがこの特集のきっかけとなった「ホテルはメディアだと思う」っていうものだったんですね。
とは言え、それぞれまったく違うバックグラウンドでホテルを始めていますし、見えている視界も違うんだろうなと思ってはいて。龍崎さんは、この言葉をどう考えていますか?

龍崎: 

まず、ホテルが何と何をつなぐメディアなのかということですが、ひとつは「ゲストと街」だと思っています。誰かが海外にいったときに、その街のことを一番初めに知り、かつ、一番長く過ごす場所ってホテルだと思うんですね。つまり、ホテルが街の顔なんです。もしホテルがよりその役割を果たそうと思ったら、街の魅力を言語化し、街と人を媒介する場所としてあるべきだと思っています。

二つ目は「ゲストと文化」。ちょっと抽象的なんですが、私はホテルづくりをブランドづくりに近いものだと思っています。今までのホテルのありかたはハード寄りだったんですよね。こういう設備があるから快適だとか、ラグジュアリーだとか、そういう売り方だった。

でも私はそれよりも、ホテルっていう箱をひとつのブランドとしてととらえることが大事だと思っているんです。作り手はお客様に対して何を提供したいのか、どうインスパイアしたいのか。そういう余白があるのに誰もやっていないのはもったいない。ホテルに泊まるということを通して、その方がこれまで知らなかった文化に触れられるような、そういうホテルを作れたらいいなと思っています。

三つ目は「ゲストと人」ですね。お客様とお客様、お客様とスタッフをつなげられたら、ホテルとしては本望かなと思っています。私が最初に立ち上げた富良野のペンションは、築30年のおんぼろペンションだったんですよ。それをなんとかリノベーションして使えるようにしたんですけど、やっぱり作り自体は変えられなくて。しかもはじめは私と母のふたりで営業をしていたので、ご飯に凝るとか、どこまでも送迎するとか、そういうこともできなかったんですね。それでどうしたらお客様にご満足いただけるだろうと悩んでいたんですけど、あるときバーで無料でお酒を提供しようと思いついたんです。それがとても喜ばれたんですね。

そしてたどり着いた結論が、お客様が求めているのは「人」だということでした。お客様は、旅先にいる人との出会いから新しい情報や気づきを得ている。それが結果的にお客様の満足度のもとになる。

街、文化、人。ゲストをその三つとつなぐことが、私たちのささやかなこだわりかなと思います。

岩崎: 

それを受けて、僕の「ホテルはメディアである」観を。僕はもともとリクルートコミュニケーションズっていう会社で働いていたんです。ゼクシィとかじゃらんとかの自社メディアを持っている企業なんですが、そこでマーケティングやブランディングの仕事をしていたんですね。なのでもともとメディアっていう言葉には馴染みがあったんです。

そこで学んだことなのですが、メディアの価値をはかる基準に「滞在時間」っていうのがあるんですよ。ユーザーが「何時間」このコンテンツに触れたかという指標です。この「滞在時間」がいかにブランディングに大事な指標かということを、在職中からひしひしと感じていました。

それで「ホテル」というものを考えたときに、「滞在時間」がとても長いことに気がついたんです。1日10時間なんか、平気で過ごしちゃう。今までのホテルの考え方だと、「ここにいる間に気持ちよく滞在してください」「おいしいものを食べてください」って考え方だったと思うんですけど、これをメディアと置き換えたときに、「滞在時間」という価値はもっと他にも使えるはずだと思ったんです。チェックインして、説明を聞いて、手を洗って、お茶菓子を食べて……「ホテル」にはそういうタッチポイントが無数にある。それらを活用してできることは、たくさんあるなと思ったんですよね。

だからマガザンでは、「滞在時間」を通して京都カルチャーを知ってもらおうと思いました。宿における京都のクリエイターの物販や、アートの展示を通して、ここを出るときには、京都に詳しくなってほしい。そして気持ち良くお金を使ってほしい。そういうメディアとしてこの場所をとらえています。

龍崎: 

マガザンはさっき私が言ったこと、全部内包していますよね。

岩崎: 

そうかもしれないですね。マーシャル・マクルーハンという方が『メディア論』という本を書いているんですけど、そこで彼はメディアを、「媒介」「媒体」「中間」というふうにとらえているんですね。それをマガザンに落とし込むと、ここは旅行者と京都の街の「中間」としての場所なんです。この媒体を通していかに通過後にいい体験をしているか。そこから、「ホテル」はメディア論に置き換えても話せるなということを思ったんですよね。

そして、メディアといえば僕にとって憧れなのは「雑誌」だった。だから「泊まれる雑誌」というコンセプトに行き着いたというわけなんです。

好きな場所で好きな人と好きなことをし続けたい

龍崎: 

あの、素朴な疑問なんですけど、岩崎さんが「泊まれる雑誌」に至ったのって何でなんですか?

岩崎: 

あら、すごくいいご質問ですね(笑)。

龍崎: 

ずっと不思議だったんですよ。岩崎さんのこれまでのキャリアって、リクルート、楽天、ロフトワークですよね。そういった有名企業に勤めながら、独立して「泊まれる雑誌」を作ろうってなったのはどうしてなのかなって。

岩崎: 

僕、生まれが兵庫県三木市っていうところなんですよ。そこがかなりの田舎で、情報を得られるところが限られていたんですよね。当時インターネットもそこまで普及されていなかったので、情報源はテレビと雑誌、新聞くらいしかなかった。で、「テレビとか雑誌を仕事にできたらかっこいいな」と、小さい頃によく思っていたんです。

それで最初に入ったのがリクルートだったんですけど、その会社がまあ特殊で、毎日のように「あなたは何をしたいんですか」って聞かれるんですよ。もちろんお客さんあっての商売なので、相手が何を求めているかっていうのも大事なんですが、リクルートでは「あなたが何をしたいのか」っていうのがないと仕事の価値はないですよっていう言い方をされるんです。

だけど僕は「あなたが人生をかけてやりたい仕事はなんですか」って聞かれても答えられなかった。でも、上司に怒られたくないし、給料下げられたくないし(笑)、問われ続けたら考え続けるわけです。その中で行き当たった考え方が、僕は「好きな場所で好きな人と好きなことをし続けたい」ということでした。そうしたら幸せに死ねるんじゃないかって思ったんです。

それで、自分ができることと、世の中に求められていること、この真ん中って一体どれなんだって考えて行動し続けたら「ホテル」というものに行き当たったんです。京都という好きな場所に宿をつくれば、好きな友達を呼んで好きなことができるんじゃないかなって。

そんな話を、今客席にいらっしゃるKYOTO ART HOSTEL Kumagusukuの矢津さんに話していたら、「それって雑誌がコンセプトなんじゃないの?」って言われたんですよ。

龍崎: 

それはマガザンを作るための、クラウドファンディング前の話ですよね?

岩崎: 

そうです。それまで僕は企業に勤めながら雑貨店もやっていて、はじめは「泊まれる雑貨店」をやろうと思っていたんです。でも矢津さんと話せば話すほど、「物」が真ん中じゃない自分に気づいていって……で、「雑誌じゃない?」って言われたときに、あ! って思ったんですよね。

実はもう名前も決まってロゴデザインも完璧にできあがっていたんですけど、急遽全ボツにしてしまって……(笑)それでマガザンキョウトができあがったんです。

龍崎: 

おもしろいですね。逆に私はホテルありきの人なんですよ。まず「ホテル作りたい!」っていうのが強くあった。それで、じゃあどんなホテルにしようって考えたときに「メディア」に行き着いたんです。

だけど、岩崎さんは「メディア」からスタートしていますよね。それの一番いいやり方、自己実現できるやり方って何だろうって考えたら「ホテル」に行き着いた。それが真逆でおもしろいなって思いました。

自分が泊まりたいホテルを作るには、自分がホテルを作るしかない

龍崎: 

逆に僕は、19歳でホテルを立ち上げる、っていう龍崎さんのことのほうがよくわからないんですけど(笑)。「自分はホテルをやるのだ」っていう使命感を持つようになった理由を聞いてもいいですか。

龍崎: 

私、小2くらいのときに、家族と半年間だけアメリカに住んでいたことがあったんです。それで日本に帰る前の1ヶ月間、東海岸から日本行きの飛行機が飛ぶサンディエゴまで、家族で車で横断旅行をしようっていうことになったんですね。今思うと、割とぶっ飛んだ家族だなって思うんですけど(笑)。毎日十何時間、車に乗ってアメリカを移動していたんです。

でもアメリカってめちゃくちゃ広いので、景色が全然変わらないんですよね。ひたすら砂漠みたいな風景が続いたと思ったら、今度は針葉樹林の風景が続くみたいな。親は運転しながら楽しかったと思うんですけど、子供は親がどこでおろしてくれるのかを待つだけだったので、楽しみだったのはその日の終着点である「ホテル」だけだったんです。ただいつも、ホテルのドアを開けたさきの景色が一緒だった。なんなら日本とも変わらない。アメリカって土地ごとに気候とか文化とか全然違うのに、何でホテルの中身はいつも変わらないんだろうって、すごく退屈で不満を覚えていたんですね。

せっかく自分は旅をしているのに、旅のテンションが萎えちゃうようなホテルづくりはいかがなものだろう、と。今思えば「世界中どこに行っても同じ」っていうのがホテルの価値だったと思うんですけど、その時代はもう過ぎていると思ったんです。そんな強い問題意識が原体験にあったんですね。

その後、小5のときに『ズッコケ三人組ハワイに行く』っていう児童書を読んだのですが、そこにハワイに住む日系人のホテル経営者という登場人物がいたんです。それを読んだときに「あ、これだ!」って思いましたね。「ホテルの経営者になったらホテル作れるんだ!」って。そのときから「ホテルの経営者になる」っていう夢を持つようになったんです。

岩崎: 

それで実現するのがすごいですよね……。

龍崎: 

「小学生で将来の夢を見つけたのがすごい」「夢を10年間持ち続けたのがすごい」「それを実現したのがすごい」……この3つをよく言われるんですけど、ひとつ目はただの運だったと思っていて。偶然、幼い頃に体験して感じたことがビジネスとして成立することだったっていう、それだけだと思っています。

「夢を10年間持ち続けたのがすごい」っていうのは、その問題意識を自分しか持っていなかったってことが大きいと思いますね。「ホテルがみんな同じでつまらない」って、私以外の人はほとんど思っていなかった。わたしだけが強烈な違和感を持っていたんです。「何でホテルって全部同じなの?」「アパレルブランドみたいに、“自分のスタイルに合わせて選ぶ”っていう当たり前の消費行動が、何でホテルではできないの?」ってすごく思っていたんですね。そしてその問題意識を誰かが解消してくれることがなかった。自分が泊まりたいホテルを作るには、自分がホテルを作るしかないって思うようになったんです。

あとはまあ幼いので、「将来ホテルをやりたい自分」ていうのが、喋っていくうちに自分のアイデンティティーになったところがあったかなって思ってて。むしろ自分からホテルをとったら何が残るんだろうってくらい、ホテルがアイデンティティーに食い込んでいったかなっていうのはありますね。

岩崎: 

周りの友達も知ってるわけですか。「ホテルの翔子ちゃん」みたいな感じで。

龍崎: 

そうそう、そんな感じです(笑)。「翔子ちゃんは将来ホテル作るんだよね」みたいな。小5くらいから「将来は東大に行ってホテル作るから」って言ってたんで、中学の友達とかびっくりしてますね。

岩崎: 

当時から言ってたことを、本当に現実にしちゃったわけですもんね。それから19歳でホテルを立ち上げるまでは、どういった経緯だったんですか?

龍崎: 

大学に入ったはいいものの、何をすべきかよくわからなくて、とりあえず意識高い系の集まりに顔を出すようになったんですね。パーティとか勉強会とか……。

そこでご縁があって、東大のOBのあるビジネスマンと知り合ったんですよ。その方が非常にビジネスが上手な方で、仕組みの作り方とか、経営者目線でのあれこれを教えてくださったんですね。それでその方のお手伝いで、香港に日本のオムツを輸出するっていうようなこととかやっていたんですけど、全然うまくいかなくて。貿易を通してインバウンド・アウトバンドの業界を掴もうと思ってたんですが、オムツにはあまり興味がないしうまくできなくて。で、すごい「自分はだめだな」って落ち込む、ダウナーな時期があったんです。

ただしばらくして、Airbnbが流行り始めたんですよ。そのとき「よく考えたらこれホテルじゃない?」って気づいたんですよね。それまでは、ホテルってトランプタワーみたいな大きな箱がないとって思っていたんですけど、「よそからきた人が安心して一晩過ごす部屋があれば、それってホテルじゃん」って思ったんです。自分の中のホテル観が、ハードからソフトへ転換したときでしたね。

もうひとつの転機は、株式会社Backpacker’s Japanの手がけたゲストハウス、tocoの記事を読んだことです。Backpacker’s Japanって、4人のバックパッカーが作った会社なんですけど、彼らが立ち上げたゲストハウスは「泊まれるカフェ」みたいな、新しい洗練された宿でとても画期的でした。そのtocoが2012年にオープンして、インタビュー記事を読んだんですよ。それは、4人のフリーターが1年くらい一所懸命バイトして、ゲストハウス作りましたっていう内容で。それを読んで「あ、これ、バイトしたらできるんだ!」って思ったんですよね。

そのふたつの経験から、これまでは大きな資本がないと無理だと思っていたことが、案外自分の生活の延長線上で実現可能だなと思うようになりました。

そのあと冬休みのあるときに不動産サイトをふと見ていたら、北海道の富良野に偶然ペンションの物件が出てきたんですよ。それがアクセスがすごく良くて、地価も安い。しかも富良野はシーズンが夏と冬の両方ある。たまたま見つけた物件が、条件がとてもよかったんです。それで、母に相談しました。

岩崎: 

のちに、龍崎さんの会社・L&G GLOBAL BUSINESSの代表取締役となるお母さんですね。

龍崎: 

はい。母は、私がホテルをやることにはずっと反対していたんですよ。彼女はずっと大学の教員をやっていて、私にも本当は大学教員になってほしかったみたいです。でも、大学に入ってから私がすごく落ち込んで「もうホテルやらない」って言ったときに、「何でホテルやらないの? やりたかったんじゃないの!?」って言われて(笑)、それからすごく応援してくれるようになったんですね。

で、私が富良野にこういう物件があるって話したら、すごくポジティブに受け止めてくれて。ちょうど母の仕事も節目だったので、とりあえず富良野に行ってみようかってなったんですね。それでオーナーさんと話してるうちに次第にその気になっていって、「やるなら今しかなくない?」ってなって……。

岩崎: 

どっかで聞いたことあるフレーズですね(笑)。

龍崎: 

そうですね(笑)。私自身、大学生活も楽しかったんですけど、楽しいことに飽きたんですよね。毎日変わらない日常……授業行ってバイト行って、サークル行って飲み会行っての回遊なんですよ。楽しいけれど、これが何年続くんだろうって。何も成長がない状態で就活して、疲弊して、社会に出る。そのほうがむしろ私は怖かった。それで、このぬるま湯から断ち切らなきゃみたいな気持ちもあって、休学してホテルやろうって決めたんですね。

それから、母が代表取締役、私が取締役に就いて会社を立ち上げました。北海道の銀行に事業計画書を書いて、ありがたいことに融資を受けることができて。それで、富良野に1軒目のホテルを作ったんです。

岩崎: 

お母さんもすごいですよね。もし自分だったら、自分の子供や、あるいは10代の子が言っていることをそこまで信じてあげられるかなって思うんですよ。若くて勢いも才能もあることはわかったとしても、運命共同体になれるのかっていう。

龍崎: 

この間、社員総会をしたんですよ。そのときに聞いてまじかって思ったんですけど、母は「なんとなくおもしろそうだから、軽い気持ちで始めた」って言ってました(笑)。

岩崎: 

もう、人としての幅が違いますよね(笑)。

(後編に続きます)

龍崎 翔子

L&G GLOBAL BUSINESS, Inc.取締役 / ホテルプロデューサー

1996年生まれ。2015年にL&G社を設立。「ソーシャルホテル」をコンセプトに掲げ北海道・富良野の「petit-hotel #MELON 富良野」や京都・東九条「HOTEL SHE, KYOTO」をプロデュース。2017年9月には大阪・弁天町でアナログカルチャーをモチーフにした「HOTEL SHE, OSAKA」を、2017年12月には湯河原でCHILLな温泉旅館「THE RYOKAN TOKYO」を手がける。
今年の夏には、北海道 層雲峡温泉にホテルクモイのリニューアルオープンが控えている。

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    土門 蘭

    1985年広島生、京都在住。小説家。インタビュー記事のライティングやコピーライティングなど行う傍ら、小説・短歌等の文芸作品を執筆する。著書に『100年後あなたもわたしもいない日に』『経営者の孤独。』『戦争と五人の女』。

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