2020.01.06

家族特集 共同編集者インタビュー

「作品」でコミュニケーションをしている家族の話

Credit :
インタビュー・分 / 土門 蘭、 撮影 / 清水 花菜

「よそのうちのなかをみるのはおもしろい。

 その独自性、その閉鎖性。

 たとえお隣でも、よそのうちは外国よりも遠い。ちがう空気が流れている。階段のきしみ方もちがう。
 薬箱の中身も、よく口にされる冗談も、タブーも、思い出も」

 (江國香織『流しのしたの骨』あとがきより)


今回のマガザンの特集は「家族」。「ある芸術系家族による展覧会」というタイトルを掲げ、館内には岸本一家4人の作品が展示された。

「岸本家」とは、マガザンのデザイナーである岸本敬子さんの家族のことだ。

ロゴをはじめ、館内サインやグッズ、フライヤーやウェブサイトなど、マガザンから発信するあらゆる媒体は、敬子さんによってデザインされている。その彼女の「家族」に目をつけたマガザン編集長の岩崎くんが、「岸本家の展覧会をやろう」と言い出したのだという。

初めて聞いたときは「一家で展覧会?」と驚いたが、とてもいい企画だなと思った。

わたしもよく仕事で敬子さんとご一緒するので、たまにご家族の話をうかがっていたのだが、それがとにかく豊かなのだ。

動物好きでこれまでにたくさん動物を飼っていて、記念日には家族で集まりお祝いして、姉妹は家で過ごすとき絵を描きあって遊んでいた……。話を聞きながら、まるで絵本に出てくる家族みたいだなと思った。敬子さんは「そんなことない」って笑うかもしれないけれど。

その豊かさの片鱗はわたしとの付き合いにものぞいていて、敬子さんはよくカードを贈ってくれる。「おめでとう」とか「ありがとう」とか、メッセージとともに絵を添えて贈ってくれるのだ。先日は、彼女の作ったカラスのブローチもプレゼントしてくれた。

わたしはそれをもらうたび感動して、「この習慣はどこで培われたのだろう」と思っていた。肩肘張らず、息をするように、自然に自分の創作物をプレゼントする。汲めども尽きぬ温泉のような愛情表現。

そんな彼女とお付き合いするうち、どうやら敬子さんだけではなく妹さんも、さらにご両親も作家さんである、ということを知った。そのときようやく腑に落ちた。彼女の習慣は、家庭で培われたものなのだろうなと。

家族ひとりひとりが作品やコレクションを持ち寄ってできあがった、岸本家の「家族展」。

実際に見てみて、まずは物量に衝撃を受けた。岸本家のみなさんがこんなにも多くのものを作ってきたこと、しかもそれを残していることに。

年代も作り手もジャンルも異なっているのに、作品それぞれが根底で確かに繋がっているように見える。「すごいなあ」と思うと同時に、不思議と自分の家族を思い出した。わたしたちもまた人から見たら、こんなふうに根底で繋がっているように見えるのだろうか。

10月27日、その作品に囲まれるかたちで、岸本家のみなさんとのトークイベント「作品を介した家族会議」を開催した。わたしは彼女たちの会話を聞きながら、冒頭の引用文を思い出す。続きはこうだ。


「その人たちのあいだだけで通じるルール、その人たちだけの真実。

 『家族』というのは小説の題材として、複雑怪奇な森のように魅力的です」

岸本家の公開「家族会議」

岩崎: 

こんにちは。マガザンの岩崎です。今回はマガザンのデザイナーでもある岸本敬子さんに、なかば乱暴なアイデアとして「家族展」というものを提案しました。今日はその岸本家のみなさんに集まっていただき、公開家族会議を行おうということなのですが、まずはここにいるみなさんの自己紹介からお願いしたいと思います。では、聞き手のみなさんから。

矢津: 

こんにちは、矢津です。マガザンの近所に住んでいる者です。僕はアーティストとして15年ほど活動しながら、二条城の南で『KYOTO ART HOSTEL Kumagusuku』という、「泊まって鑑賞する展覧会」というコンセプトの宿泊型アートスペースをやっています。

よく岩崎さんとも岸本さんとも仕事をしているんですが、「岸本家の展覧会をやる」って聞いて、そんなことできるのかなと思っていました(笑)。ご家族が仲良く設営しているのを見ながら、いろいろ聞きたいことも湧いてきていたので、ここでいろいろ聞きたいと思います。

土門: 

土門です。今回は聞き手と記事のライティングを担当します。岸本家のみなさんとは初対面ですが、敬子さんとはよくお仕事でご一緒していて。『100年後あなたもわたしもいない日に』(文・土門蘭、絵・寺田マユミ、文鳥社刊)という本では、装幀デザインを担当してもらいました。もともと敬子さんを、「アイデアと作品が湯水のように湧き出るすごい人だなあ」と思っていたので、こんなご家族のもと育ったんだなと興味深いです。

敬子: 

長女の敬子です。マガザンのデザインを担当しています。母校の京都精華大学のイラスト学科で専任講師をして7年目。そのかたわらでフリーのデザイナーとして活動もしています。

陽子: 

次女の陽子です。姉と同じく京都精華大学に通っていて、漫画学科のカートゥーンマンガ分野を専攻していました。今は大阪のゲーム会社で働いていて、今年11年目です。エフェクトっていう、炎とか魔法とかを作る担当をしています。

父: 

父の伸也と申します。武蔵野美術大学の視覚伝達デザイン学科を出て、39年間宝塚市の美術教師をしていました。今年の3月末で定年退職して、敬子から「家族で展覧会をやってみないか」と提案を受け、尻込みもしたんですけど、いろんな方に応援いただいて実現することになりました。今日はよろしくお願いします。

母: 

母の博子です。京都嵯峨美術大学で油絵をやっていました。若い頃は絵を描くことに夢中だったのですが、子供ができてからはしばらく休んでいて。その間にお花を触ってみようかなとフラワーデザインを始めたのですが、めりめりのめり込んでしまい、資格をとって自宅で教室をやっています。また途中で体調を崩したのを機に、太極拳に似た木蘭花架拳という気功の踊りを始めたのですが、それにもかなりのめり込んで教室で教えるようになり、今はそれが生活の大半を占めています。

だからどれも昔の作品ばかりで恥ずかしいんですが、久しぶりに描きたいなという気持ちがふつふつと湧きました。いいチャンスを作ってくださりありがとうございます。

岩崎: 

……と、こんなメンバーでお送りしたいと思います。

矢津: 

いや、すごいメンバーですよね(笑)。

岩崎: 

これまででもっとも難しいトークイベントになるかもしれません(笑)。

「ずっとあるだろう」と思っていたものも急になくなる

岩崎: 

まずは企画が生まれたきっかけについてですが、敬子さんと僕はビジネスパートナーでもあるのでよく雑談をするんですよ。その中で家族の話がちょいちょい出てきていて。それを聞いているうちに、「なんだか相当ヤバい家族なのではないか?」と思っていたんですね。

そのあと陽子さんのイラストレーションをうちでも展示販売させてもらうことになり、初めてお会いしたのですが、想像とまったく違う人物像で驚いたんです。情感豊かな動物の絵を描いている人なのに、あまり喋らないし……。

一同: 

(笑)。

岩崎: 

しかも陽子さん、作品数がすごいんですよね。それがかなり印象的だったんです。で、そんなときにお父さんが定年退職をするというので、敬子さんが「何をしてあげようかな」ってずっと言っていたんですよね。お父さんは何か作ったり集めたりするのが好きっていうのも聞いていたので、じゃあそれを発表する場にしたらどうかな?と提案したんです。それから1年……蓋を開けてみたら、こんな感じです。

土門: 

すごいですよね。まず作品量にびっくりしました。

岩崎: 

「展示できるものなんかないよ」と言っていたのにすごい量でね。車がすし詰めになって、詰みきれなくて(笑)。だけど、こうして並べてみたら、言語よりも作品を介するほうが、家族の対話がなされているんじゃないかなと感じました。それで今日は、作品を介して「家族とは」ってことを考えていきたいと思います。

まずは敬子さんに聞きたいのだけど、やってみてどうですか?

敬子: 

実はかなり前から「家族展やれば」って言われていたんですよね。でも実現できるイメージが湧かなくって、ずっと寝かせていて。

そんなとき父方の祖父の家を畳んで、大量に物を捨てたんですよ。そのとき「ずっとあるだろう」と思っていたものが急になくなるっていうのを目の当たりにして。「いつかやれるだろう」って思っていることも、もしかしたらできなくなるのかなって気づいたんですよね。

それで、父の定年を機に「やろう!」ってなったんです。できあがるまで大変だったけど、展示してよかったなって思いました。意外と両親の作品で観たことないのも多くて。開けてびっくりって感じです。

矢津: 

そうそう、家族間で普段から作品見せ合ったりしているのかなって気になってたんです。

敬子: 

そんなに見せ合わないですね。グリーティングカードとか作って渡すけど。

父: 

ないね。

敬子: 

おじいちゃん家を畳むときに父の作品がゴロゴロ出てきて、「写真やってたんや」とか「家で暗室作ってたんや」とか初めて知りました。

父: 

学校に勤めてからはほとんど作ってないので、ここにあるのはかなり昔の作品ばかりなんです。

岩崎: 

でも一個だけ新作がありますよね。

曜日ごとに違う色のジャージ姿で通勤したお父さん

個展ブースでは家族で代わる代わる作品を展示。トップバッターはお父さん。教師生活の後半十数年間にわたり、曜日ごとに異なる色で全身を統一して出勤した。今回は「家族展」用の新作としてそのコーディネートを撮影し、現物も展示。撮影はスタジオアリスにて行った。

父: 

あ、はい(笑)。僕は勤めていた中学で、曜日ごとに異なる色のジャージを着て過ごしていたんです。月曜は黄色、火曜は赤、水曜は青……というように、上から下まで色を統一して、勤務ユニフォームにしていたんですね。それを定年までの十数年間継続していたんです。

岩崎: 

あ、会場がざわざわしてきましたね(笑)。

土門: 

それは目立っていたでしょうね。始めようと思ったきっかけは何だったんですか?

父: 

うちの学校の体育大会はクラス対抗で、クラスごとに色が決まっていて、担任もその色を身につけて応援したりするんですよ。僕も自分が所属するチームの色を着ていたんですけど、最初はTシャツだけだったのがだんだんエスカレートしていって……。

一同: 

(笑)。

父: 

年が変わるごとに色も変わるから、どうせならあらかじめ全部そろえちゃえということで、どの色がきても対応できるようにしました。でも年に1度だけ着るんももったいないので、毎日着れるように曜日ごとに変えていこうと。

矢津: 

ひとりだけずっと体育大会が続いているということですか(笑)。

父: 

そうなんです。最初はジャージだけだったけど、帽子、エプロン、靴下、めがね……と小物までこだわり始めてきて。

岩崎: 

この話を聞いて、岸本展は大丈夫だと思いました(笑)。ジャージの背中にロゴがあるんですよね。

父: 

このロゴの似顔絵は、私が新任のときに2年生の子が描いたんです。「ロバオ」っていうあだ名と似顔絵を描いた落書きが教室に落ちてて、それがおもしろいなと思って。

土門: 

えっ、それをロゴにしたんですか?

矢津: 

生徒からしたら、怒られるはずが逆に乗っかってこられたんですね(笑)。

父: 

本人の了承を得て、30年以上使ってます。

家族同士、もともと好きなものが似ていた

岩崎: 

ご家族にとってはこのジャージは日常なんですか。

敬子: 

このカラフルなジャージは私たちが家を出て以降のことなので、見たことなかったですね。

父: 

それまでは地味目なネイビーのジャージとかでしたから。

陽子: 

父はあまり家で喋らないけど、やることが大胆なんです。

父: 

それは陽子もやけどね。

矢津: 

陽子さんも大胆なんですか。

母: 

大胆て言うか、信念が強いんですよね。この子、就職活動で大手ゲーム会社をふたつ受けたんですけど、面接のときに絵本を持ってったらしいんですよ。

陽子さんの作品である、絵本『ジャングル・ラビリンス』。絵は切り絵でできており、迷路になっているページもある。ストーリーも陽子さんが制作。

母: 

自分で製本した絵本で、切り絵で迷路にもなっているやつでね。それを面接で持ってったら、1社目がぱらぱらと見たあとに開いたまま伏せておかはったと。それがすごくかちんときたらしくて、「あそこはあかんわ」とすごく怒っててね。人の作った本をそういうふうに置くのはあかん、だいたい採用担当の電話の受け答えの仕方もなっとらんと。

岩崎: 

受ける陽子さんのほうが審査してる(笑)。

母: 

上から目線で驚きましたね。でも言うてることはきっちりしてるなぁって。芯がしっかりしている子なんですよね。

矢津: 

こうして作品を見てると共通項がありますよね。動物の絵が多かったりとか、切り絵に関してはお母さんも娘さんもされていたり。そういう影響は受け合っているんでしょうか?

父: 

うーん。性格的に似通っているからですかねえ……。

母: 

誰かがやっているから自分も、っていうよりは、もともと好きなものが似ているんですよ

土門: 

じゃあ各々で好きなことをやってたら自然と似通ってきたと。ものづくりの悩みを相談し合ったり、熱い議論を交わしたりとかはないんですか?

岸本家: 

全然しないですね。

岩崎: 

「最近こういう仕事してて……」とかは?

敬子: 

成果物を見せることはあるけど、「それええなぁ」でいつも終わります(笑)。

父: 

突っ込んだ話はしないですね。

矢津: 

「もっとこうしたら」とかも? 美術の先生なわけですし、先生的指摘とか……。

父: 

そういうのは出さないっていうか、出ないですね。家では先生っていうの忘れてます。

母: 

絵を教えたり指導したりすることないもんね。

コミュニケーションとしての「創作」

矢津: 

僕も小さい息子がいるんですけど、彼が美術に興味を持ったときにどういうふうにしていこうかなって考えていて。おふたりは、子育ての中でどういうことを意識されていたんでしょうか。

母: 

家の中に、紙と鉛筆はふんだんにあったんですよ。色鉛筆もサインペンもどっさりあって。それで子供たちが、いつも絵を描いてたんですよね。

矢津: 

僕びっくりしたのが、敬子さんと陽子さんが2人で描いていた漫画です。巻物になっていて……。

母: 

あれは1年どころじゃない、何年もかけて描いたものですね。

敬子: 

A4のコピー用紙が家にいっぱいあったんですよ。それに小学生の頃、ふたりそれぞれ漫画を描いていたんです。各自お題を決めて、1枚に収まるようなものを。でもある日ふと「合作してみようか」と。代わり番こに描いていっていたら、どんどん続いていって、分厚くなってきたから「巻こうか」って……。

土門: 

それで巻物に(笑)。小学生でこの画力はすごいですね。

矢津: 

本当に。実は僕も、弟に漫画を描いてあげてたんです。それが美術に関わる入り口だったんですよね。お母さんがたは、そういうふたりを見ててどう思ってましたか?

母: 

よう思いつくなぁと、おもしろく見てましたね。

土門: 

姉妹のコミュニケーションとして、漫画を描いてたんですね。私は敬子さんと付き合い始めて数年ですが、彼女からよく手書きのカードをもらうんです。「おめでとう」とか「ありがとう」とか、彼女の絵を添えたメッセージカードなんですね。私はそれって、すごく素敵な習慣だなって思っていて。

今回この展示を見て、自分の作品を介してコミュニケーションするっていうのが、この家族間で自然に行われていたんだなって知って納得しました。この家族ならではの文化なんだなと。

2階に展示されている「子どもたちからのグリーティングカード」。

岩崎: 

今、2階のトイレの前にふたりのポストカードを貼っているけど、あれもすごいですよね。

母: 

ふたりからのカードは、いっぱい残ってますよ。

父: 

うちでは、イベントがあるごとに集まってお祝いするんですよ。そこで、カードとプレゼントを渡すんです。我々の結婚記念日にも、いつもお祝いしてくれるしね。当の本人たちは記念日を忘れているんだけど(笑)。

母: 

「何周年おめでとう」って、いつもね。私たちは忘れているのに(笑)。

敬子: 

いっつもレストラン予約してるやん!(笑)でもうちでは結構、記念日とか季節のイベントを割と大事にする方だったんじゃないの。七夕には何食べる、とか。

母: 

お月見にはすすきとお団子とお茶を持って、屋上に上がって……とかね。

土門: 

豊かですねえ。そういうのが自然と根付いていったんですね。

家族から家族への質問

岩崎: 

では、質問コーナーへ行きましょう。このトークイベントの前に、それぞれに家族ひとりひとりに対する質問を書いてもらったんです。では一つ目から見てみましょうか。

陽子へ
「今持っている能力に加えてもうひとつ能力を持てるとしたら、何をしたいですか?」

陽子: 

音楽の才能が欲しいですね。曲を作ってみたいです。絵ってモチーフがあるから描けるけど、曲ってどうやって作るのか全然わからなくて。曲を作れる人って、どこから音程を見出すのか知りたいです。

岩崎: 

お父さんへ
「先生になっていなかったら、何になってた?」

父: 

うーん、想像つかないですね。僕はデザイン科でありながら、大学4年のとき就活を一切してなかったんですよ。入学してからグレちゃって、あまり授業をまじめに受けてないんですよね。何のために大学行ったんや……みたいな。

それで教職をなんとなくとって。たまたま合格したんです。そのままズルズルとですね。

矢津: 

武蔵美の視覚伝達デザイン科って日本でも有数のところで、同じ時期に在籍されていた方でもデザイナーとして活躍されている方が多いと思うんです。デザイナーになりたいっていうのはなかったですか?

父: 

向いてないと思っていたんですよね。美術教師じゃなければ、父が大工をやっていたのでそれを継いでいたかもしれない。

矢津: 

でも、今は娘さんがデザイナーをされている、と。

父: 

本来はそこを目指していたはずなんですけどね。羨ましいなっていう気持ちはちょっとありますが(笑)。

大学時代「体の一部を彫る」という課題でみんなが手足を彫る中、お父さんだけ顔をモチーフに。「ちゃんと説明聞いてなかったからかなぁ……手足がずらって並ぶ中、自分だけ顔でしたね(笑)」

岩崎: 

お父さんへ
「これから行きたいところは?」

父: 

今はないですね。ゆっくりしたいな。辞めるまでは体調のことは後回しだったんですけど、今は病院通いも多くてね。しばらくは自分の体を大事にして、これまで休めなかった分、一年くらいはゆっくりしたいなと。

矢津: 

ゆっくりしようと思ったらこの展示で(笑)。

父: 

そうそう。でもこういうの機会がないとできなかったので、ありがたいですよ。

お互いの好きな作品は?

矢津: 

僕からも質問していいですか? ここに展示している中で、お互いいちばん好きな作品があれば教えてほしいんですけど。

敬子: 

私は母のでは油絵が好きですね。今はお花や中国拳法を教えているけど、やっぱりベースは油絵なんですよね。いつも家に飾ってあるから、見ていると落ち着きます。

父のだと、馴染みがあるのは木版画かな。私が生まれたときから、寝室のドアに飾られていたんです。それが焼きついている。父が作ったっていうのは後になって教えてもらったけど、ずっとあれがあるなって感じですね。

妹のは、木彫りとか立体とかが好きかな。私はニュアンスで動物を描いてしまうんだけど、妹は絶対嘘つかない。こういう形をしているからこう描くんだ、って絶対ごまかさないんですよ。動物に誠意があるっていうか。

お母さんの作品『黙想の家の庭』。20歳頃に描いた油絵。

陽子: 

父のだと、私もあの木版画が好きですね。両親の寝室のドアにあれがあって、毎日絶対目に入る。「誰なんかな?」って思いながら見てました。「お母さんちゃうな」みたいな(笑)。

母のは、お花かな。壁にこういう植物素材のコラージュが飾ってあるから、やっぱり自分家感があって。

姉の作品でいちばん好きなのは、ストレスノートですかね。「ストレスノート」っていうのは私が名付けたんですけど、人に見せる用じゃない、姉が自分のために描いてるノートなんです。ストレス溜まっているときに、頭を動かさずに手だけ動かしてるノート。

お父さんの作品の木版画。モデルの女性が誰なのかは、誰も知らない。

父: 

陽子の作品はどれも好きだけど、イベントごとにくれるカードがいちばんほっこりして好きですね。私の似顔絵が入っているやつとか。

敬子は、感覚的に私と似ているように思います。デザイン的でおしゃれな感じ。スタイルがよく変わるけど、どれも好きです。中でも彼女がブログでやっていた「moppeのコメ〜ズブログ」が好きかな。気持ちがほっこりして笑えます。

お母さんはやっぱり油絵かなぁ。同じ高校の美術部で出会ったのがきっかけだったんですけど、お母さんが部長でね。いつもうまいなーって思って、油絵では勝てないなって。それに憧れもあったりしてね。

敬子さんの作品『ストレスノート』。ストレスが溜まると描かれる美しいイラストたち。

母: 

陽子は、動いているものを描けるのがすごいなって思いますね。動物のどんな向きでもさーって描けるんです。幼稚園入るくらいのときから、牛でも馬でもありとあらゆる角度で描く。教えてもないのに、どんどん勝手に描いていくんです。大学時代にはクロッキーを持って、毎日動物園に行って1000枚描いてたりもして。駅にいる人も描いてました。下書きも一切しないし、動いているものをさっととらえる、筆の勢いがすごい。それでいて、細かいこともできるしね。そういうのができるのが、羨ましいですね。

敬子は、私と似ているのが「色が好きなところ」なんですよ。形よりも色が先に目に飛び込んでくるタイプで、好きな配色とかも気が合うんですよね。今日も同じブランドの服を着ています。画力もすごくて、今風に言えばリスペクトしているんですけど(笑)。一方でクライアントさんの求める物をぱっとデザインできるのもすごいし、自分の描きたいものと両立しているところがすごいと思いますね。

主人は、高校時代のデッサンがすごく上手でね。彼は早くから中之島のデッサン学校に行ってたんですよ。だから美術部の活動になかなか来れなかったんだよね。そのかわり、ダントツでうまくて、ひとりプロみたいだった。だから高校時代は話しにくい感じでしたね。だけど熱心な部で、夏には合宿をしたんですよ。真夏にみんなで出かけて、1日中絵を描くの。それで夜にみんなで持ち寄って、結構厳しく講評しあったりして、すごくいい仲間でしたね。その仲間との交流はいまだに続いてて、今日も来てくれているんですけど(笑)。いまだにクリスマスには全員うちに来て集まるんですよ。

陽子さんの作品。動物たちのミニチュアフィギュア。

「癒し、ですかね。創作は」

土門: 

お話を聞いていると、暮らしと創作がナチュラルに繋がっているんだなあと思います。みなさんのその創作のモチベーションって、どこにあるんでしょうか。お仕事もされながら、それとは別に作り続けているのがすごいなって思うんですが。

敬子: 

癒し、ですかね。創作は。

父・母・陽子: 

そうですね。

敬子: 

妹はいらいらしている時なんかに、「速く動いている動物描きたい」って言って、ライオンがヌーを追って殺して食べるシーンとかをがーって描くんですよ。

陽子: 

感情のはけ口みたいな。描くと落ち着くんですよね。

母: 

私は植物と動物が好きで、絵のモチーフも自然物ばかりなんです。風や光を感じられる絵が好きで、それを見たらその場所の空気が甦るような絵を描きたいなって思っていて。フラワーデザインでも、植物を触っていると気持ちがすごい癒されるんです。何も考えずに、ひたすら無心になれるっていうか。それはさっきの、陽子の話と一緒ですよね。子供たちと違うことをしながら、私もきっと同じことをしていたんですね。

父: 

僕の場合、ここにあるのは過去の作品ばかりで、展示のために作ったのは写真だけ。もしかしたらあまりストレスがないのかもな。作ろうという気になってなかったですからね。

でも、美術室の一面をいろんな作家のポスターで飾ったり、ウルトラマンやゴジラのフィギュアとか立体物で飾ったり、私のコレクションで埋め尽くすみたいなことはしていました。収集して飾るのが好きなんです。それで子供がおもしろがったら嬉しいし、自分の緊張を和ぐんですよね。もしかしたら、これも癒しなのかもしれないですね。

矢津: 

僕もごくたまに、ストレスが溜まると漫画の絵のようなものを描き出すんですよ。全然見せられるようなものじゃないですけど、戦っている絵とか、走っている絵とか、ああいうの描くと癒されるんですよね。同じ人種やったなと気づきました(笑)。

土門: 

うんうん、私もそうですね。私の場合は文章ですが、日記のような散文のようなものを書くと感情が落ち着きます。もっとちゃんとしたいときには短歌にしてみたり。吐き出すだけじゃなくてきれいなものにすると、とっても満足する。

敬子: 

ああ、それすごくわかります。

岩崎: 

僕の場合は、それがマガザンに出ますね。クライアントワークをやっていると、お客様優先のときもやっぱりあるので、満たされなかった欲求をここで何の遠慮もなしに出しています。マガザンの運営って、人から見たらすごくめんどうに見えると思うんですけど、自分にとってはすごく楽しいものなんですよね。

この家族展もそうで。僕は田舎の農家の長男なので、いつか引き継がないといけないんですけど、そうすると親族がもめているところを見ちゃうこともあるんですね。その憤りが変換されて、この展示につながったように思います(笑)。自分がずっと気にしていた「家族」という言葉を、もう一度ポジティブに捉えてみたくて

会社員のときには、そういうはけ口はほぼなかったかもしれない。買い物をすることとかでしか発散できなかったから。

土門: 

自分で自由にできる領域ができたってことなんですね。

言葉じゃないコミュニケーションが絵として表れた

矢津: 

今回の展示で、岸本家はコミュニケーション方法として「表現」に頼っている部分が多いんだなと思いました。カレンダーを作ったり、カードをあげたりね。だからあまり言葉が必要ないのかなって。

僕、この展示でいちばん衝撃的だったのが、お父さんのお母さん(敬子さん・陽子さんの祖母)が入院されているときに描いていた絵なんですよね。このコミュニケーションができるのはすごいなって。

父: 

学校帰りにお見舞いに行ってたんですが、いつ行っても母が寝てるんですよ。語りかけたり、イヤホンを耳に入れてラジオを聞かせてみたりもしたんですけど、まったく目を開けることがなくて。30分かそこら手持ち無沙汰なので、どうせならスケッチしてみようかなって思ってね。

矢津: 

このお父さんがいるからこの家族のかたちなのかなって、岸本家を象徴する作品だと思いましたね。言葉じゃないコミュニケーション方法が絵として表れた。これは、すごく感動しました。

最後に、会場のお客さんからこんな言葉が出た。

「みなさんのお話を聞いていて、自分は親の影響をどう受けているのかなって考えてしまいました。自分たちもまた、言葉ではないコミュニケーションをとっているのかもしれないなって」

岸本家の人々にとっては、これまでこのコミュニケーションはあまり意識されてこなかったのかもしれない。彼らの「作品」を介するコミュニケーションはわたしには驚くべきものだったけれど、自分の家族にももしかしたらそういう「言葉ではないコミュニケーション」が存在するのかもしれないなと思った。

家族というのは閉ざされた共同体で、だからこそその中で独自の文化を構築していく。岸本家の場合、今回その「独自の文化」が公開された。

「このあと家族の風景はどう変わっていくのかなって、ちょっと心配です」

そんなお客さんの声もあったが、岸本家のみなさんはそれぞれに顔を見合わせ、

「変わらなさそうだよね」

と言う。

「これから四人でカレンダー作る予定なんです。毎年、帰省したときに姉妹で作っているんですけど、今年は作品が出揃ったしみんなで作ろうかって」

それを聞いてわたしは笑ってしまった。数十年かけて作られてきた「家族」は、そんなにやわじゃない。そして彼らはこれからもまた、時間とともに「家族」を積み重ねていくのだろう。

岸本家

岸本敬子さんのご家族

父・伸也(写真中央左)
1957年兵庫県宝塚市生まれ・在住。宝塚中学校(バスケット部)、宝塚高等学校(美術部)、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科を卒業。宝塚市内中学校美術教諭として勤務。バレーボール部・美術部顧問。2019年退職。

母・博子(写真中央右)
1958年兵庫県西宮市生まれ・宝塚市在住。宝塚中学校(美術部)、宝塚高等学校(美術部)、京都嵯峨美術大学洋画家を卒業。いづみや(現Tools)社員・丸善・看板を描くバイト・日本盛バイト・結婚後、姉(4)妹(2)の時よりフラワーデザインの勉強を始め、資格を取得。神戸と自宅で教室を開講。その後リウマチにかかり、リハビリのために木蘭花架拳を始め、中国へ研修・大会出場(9回)などを経て、木蘭花架拳講師に。

長女・敬子(写真右)
1984年兵庫県宝塚市生まれ・京都市在住。宝塚中学校(美術部)、宝塚高等学校(美術部)、京都精華大学芸術学部VCD(ビジュアルコミュケーションデザイン)専攻を卒業。

2007-2012 東京の広告制作会社デザイナー

2012-現在 京都精華大学デザイン学部イラスト学科専任講師、マガザンキョウトデザイナー、トナカイサインズデザイナー

次女・陽子(写真左)
1987年兵庫県宝塚市生まれ・京都市在住。宝塚中学校(美術部)、宝塚高等学校(美術部・水泳部・写真部)、京都精華大学芸術学部マンガ学科カートゥーンマンガ分野を卒業。某ゲーム会社開発部デザイナー(エフェクト担当)。

  • インタビュー・文

    土門 蘭

    1985年広島生、京都在住。小説家。インタビュー記事のライティングやコピーライティングなど行う傍ら、小説・短歌等の文芸作品を執筆する。著書に『100年後あなたもわたしもいない日に』『経営者の孤独。』『戦争と五人の女』。

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