2023.06.15

京都の街の、音を読む。

第7回 喫茶マドラグ

Credit :
文 / 土門 蘭、 イラスト / 岸本 敬子

先日マガザンの岩崎君に、「壁コラムを連載しないか」と誘われた。

それでどういったものを書こうかと数日考え、「心から好きな場所について書こう」と思った。京都には特に音楽が流れていないのに、独特の音楽を奏でているような場所が複数ある、と思う。その音楽は、そこ以外では決して聴くことができない。この連載ではそういった場所について書いていこうと思う。

京都の街の、音を読む。第7回 喫茶マドラグ

奈津美さんに初めて会った時、女優さんかと思った。まるで映画から抜け出てきたような、オーラのあるきれいな人。

注文するときドキドキして、変なことを言わないようにと気をつけた。彼女は注文を受けるとにこやかに微笑む。窓から午後の光が差し込む喫茶店は、外よりどこか薄暗い。コーヒーの香りで満たされたその空間は、彼女によく似合っていた。

喫茶マドラグは、三四郎さんと奈津美さんというご夫婦が、2011年にオープンした喫茶店だ。学生時代から馴染みのあるライブハウスの目の前にできた喫茶店で、素敵なお店ができたと友達の間でも評判だった。

初めは入るのに少し勇気がいったが、お二人が明るく迎え入れてくれるので、次第にちょこちょこと行くようになった。店内には、映画のポスター、雑誌、本などがたくさん置かれている。その中に自分の好きな作品を見つけるたび、憧れの先輩との共通点を見つけた気がして嬉しかった。

 

私は『音読』というフリーペーパーを作っているのだが、ある時「閉店ウォーカー」という特集を組むことになった。さまざまな方に今はなき京都の名店を語ってもらうという特集で、その中で「木屋町にあった老舗の洋食屋コロナの玉子サンドを復活させる」という企画が持ち上がった。そこで協力をお願いした先が、喫茶マドラグだった。

コロナのマスター原さんは当時97歳というお歳だったのだが、元スタッフの方にサポートされながらマドラグに来られ、レシピを三四郎さんに伝授してくださった。その後も三四郎さんによる試行錯誤が重ねられ、「コロナの玉子サンド」復活は大きな話題に。行列ができるまでの人気店になったのはよかったが、私は内心気がかりだった。もしかしたらお二人が望んでいたお店の形を壊してしまったのではないか、と。

そんな折、奈津美さんからこんなメッセージが来た。

「音読さんの企画のおかげでタマゴサンドが爆発的人気になり、弱小喫茶店だった我が店もなんとか元気に営業しており、おまけに縁あって2店舗目まで作ることになりました。音読さんには感謝してもしきれません」

それを読んで、とてもほっとした。新店・喫茶ガボールのオープニングパーティにも招んでいただき、私は嬉々として出かけた。

パーティに行く前に、花を買いに行ったのを覚えている。

「深い赤と紫で、シックにまとめてください」

それが、奈津美さんのイメージだった。

奈津美さんは、花束を喜んで受け取ってくれた。その日の彼女はドレスアップしていて、いつもに増して映画女優のようで、思わず見惚れてしまった。ガボール自体もまた、フランス映画に出てくるカフェのようだった。「マドラグやガボールに置かれてあるものは、奈津美さんの好みですか」と尋ねると、彼女はうなずいて「好きなものばかり置いています」と教えてくれた。

私は思い切って言う。

「私も、映画とか本とか好きなんです。よかったら今度お話しませんか」

すると奈津美さんはにっこり笑って「ぜひ」と言った。

「私、土門さんが書く文章も好きなので、嬉しいです」

そう言われて、私は顔が赤くなったと思う。憧れの人の「好きなもの」になれた喜び。そして、これから仲良くなれるかもしれないという予感。そんな気持ちでふわふわしながら、私は喫茶ガボールを後にした。

 

だけど奈津美さんとは、その約束を果たせなかった。翌年彼女は亡くなった。

彼女のことをよく知っていたわけでも、たくさん話をしていたわけでもない。お店に行っても話しかけられないまま、「また今度」と思い帰るばかりだった。

だけど、これからもっとたくさん話せるかもしれないという期待をしていた。私がブログを更新するたび、奈津美さんが「いいね!」を押してくれるのが嬉しく、「次こそは」と思っていた。だから、到底信じられなかった。

その後、奈津美さんの洋服をいただく機会があった。彼女が所有していたたくさんの洋服の中から、私はKEITA MARUYAMAのプリーツスカートをいただいた。持って帰って穿いてみると、ウエストがあまりに細く驚いた。奈津美さん、スタイルよかったものなぁと思う。

鏡の前に立ちながら、奈津美さんに早く話しかければよかったと思った。恥ずかしがっていないで、彼女が何を好きでどんなことを考えているのか、もっと聞けばよかったんだ。

あれから9年が経った。

私は奈津美さんの年齢を超えたが、喫茶マドラグは相変わらず人気店で、順調に新しいお店を増やしている。昨年には、マドラグは会社として新しい展開を迎えた。私はライターとして三四郎さんに取材したのだが、その中でこんな言葉を彼から聞いた。

「喫茶マドラグは、なっちゃんが作ったものだから」

その時私は、なんだか泣きそうになった。そうか、そうだよな。マドラグは何も変わらない。奈津美さんは今も、京都のこの街にいるんだと思った。

私はこれからも、奈津美さんのことを知ることができるのだと思う。奈津美さんが好きだった映画、雑誌、本、音楽。それらにまた会いに行けるのだと思う。

クローゼットの中には、細かなプリーツが施された美しいスカートが、今も大事にしまってある。

 

 

喫茶マドラグ

二条城の近くにある喫茶店。もともとこの場所で50年近く営業していた「喫茶セブン」を引き継ぎ、2011年にオープン。店内の家具や食器やカトラリーは「喫茶セブン」のものの他、名曲喫茶から譲り受けたものも。2012年には閉店した老舗洋食店「コロナ」から受け継いだ玉子サンドをメニューに載せるなど、古き良き喫茶文化を今に引き継いでいる。

 

住所:〒604-0035 京都市中京区押小路通西洞院東入ル北側

TEL:075-744-0067

営業時間:11:30〜

※食材がなくなり次第終了

※お席のご予約は11:30にご来店の場合のみ、店頭及びお電話で受付け

定休日:日曜(臨時休業の際はfacebookページ等でお知らせ)

※コロナサンドのみテイクアウト可能(2日前までにお電話にて要予約)

  • 土門 蘭

    文筆家
    1985年広島出身、京都在住。小説・短歌等の文芸作品の執筆、インタビュー記事のライティングやコピーライティングを行う。京都の音楽カルチャーを紹介するフリーペーパー『音読』の副編集長。著書に『100年後あなたもわたしもいない日に』『経営者の孤独。』『戦争と五人の女』『そもそも交換日記』『死ぬまで生きる日記』がある。

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