天声人語とスノウショベリング
大学生の頃、朝日新聞の『天声人語』を毎日写経していたことがある。なぜそんなことをしていたかというと、スポーツジャーナリストになりたかったからだ。
そんなことを鴨川沿いを自転車で北上している時に思い出した。
当時誰かに褒められることと言えば、ずっと続けてきた野球で投げる球の速さとそのヲタク的な知識、あとは作文の文章くらいなものだった。
そこで、諸般の事情(よくある怪我)で野球を続ける道を諦めてなんとなく大学へ言った自分は、「野球」と「書く」の力を活かせそうなスポーツジャーナリストという職業を安直ながら目指し始めたのだった。
自分が大学に入学した当時2004年頃と言えば、メディアにおいて花形はTVであり、硬派な実力者は新聞であるという空気がまだ色濃く残っていて、「ジャーナリスト」というものを目指すに当って入ったマスコミゼミでは、新聞記者の方が講師として教鞭をとられることが多かった。
そこで出た天の声ならぬ宿題が、「天声人語を毎日写経しなさい」だったのである。
決まった文字数の中で、伝えるテーマを決め、起承転結を組み上げて、万人に読みやすい文調に整え、示唆のある読後感をつくることをとことんまで突き詰められている天声人語は、ジャーナリストに求められる文章の基本中の基本と言えるものだ。
体育会系上がりのぼくにとって、毎日地道に続けるシャドーピッチングのような写経はあまり苦ではなく、気がつくとゼミが終わって就活で内定を得るまで3年は続いていた。
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時は経って、スポーツジャーナリストとはかけ離れたマガザンキョウトの編集長としてブログを書き始めた今、自分の文章が新聞記事のそれのように「カタイ」ことに悩み始めているでのある。
茶道や武道の守破離で言う「守」は天声人語を師とすることである程度のところまで到達していると思うものの、「破」が大きな壁として立ちはだかっていることを今タイピングしているMacbookの指先で痛切に感じているのだ。
例えば本特集のパートナーである『スノウショベリングブックス』店主中村さんの書く、毎日の駒沢公園前定点観測SNSポストのリズムとユーモアのオリジナリティに感嘆しつつ、見てきたもの、感じてきたもの、その捉え方、語彙と遊び心の積み上げてきたものの差に愕然としたりもする。(ぜひ多くの人に読んでほしい。)
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書き留めたいことや伝えたいことがあるからと始めたこのブログも、どこにたどり着くのかはよくわからないけれども「まず書き続けてみる」というアプローチを自分は選んでみることにする。
そのうちに、自分なりの方向性やリズムとか感覚みたいなものが文章の中に生まれて、どこかの誰かとの何かいいことが起きたらいいなと思っている。
マガザンキョウト編集長 岩崎達也