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聖人君子とメトロ

KYOTO EXPERIMENTマーク・テの『Baling(バリン)』を観た。

舞台は1955年、マレーシアの現政権(マラヤ連邦)とマラヤ共産党の首脳が直接対話をし、マラヤ非常事態/革命闘争を終結させるための試みとして世界中の注目を集めた出来事である「バリン会談」を題材にしたドキュメンタリー作品だ。

概要は引用後述するとして、劇中で時折差し込まれる演者の自己紹介から、政治家や社会活動家でありながら、一線級の芸術をグローバルに展開している稀有な芸術家集団という印象を受けた。

恐らく観客のほとんどがマレーシアの歴史について知らない前提で、論理的に、感情的に、時に観客席のレイアウトを縦横無尽に変えながらオーディエンスを身体的に刺激しつつ舞台へと引き込んでゆく仕掛けは、最初の堅い歴史説明でうとうとしていた観客をも、最後はどっぷりと引き込むまで作用していた。

観終わった後そのままレセプションに移動して、会場の片隅でグラスを傾けていた俳優の一人に「感動したよ。」と伝えて色々話していたら、「ところで、フォーマルなレセプションもいいんだけど、京都で音楽を楽しめるクラブはないの?踊りたいんだ。」と聞かれた。マジメな話を重ねていた中で一瞬たじろぎつつ、メトロを薦めた。

同時に、彼らもぼくたちと何ら変わらない人間としての欲求があるのだ、と思った。

もし舞台だけを観てレセプションに行かなかったら、そこで話しかけなかったら、彼らをある種の「芸術家」であり「聖人君子」的な枠組みに閉じ込めて捉えてしまっていたように思う。レセプションでお酒を交えた気の置けない会話ができたからこそ、舞台の内容を同じ人間がつくる日常のものとして咀嚼することができた。これは、(図らずなのかもしれないが、)KYOTO EXPERIMENT の演者と観劇者の距離の作り方の妙なのかもしれないと思った。

東京ではビジネスのど真ん中にいたが、京都へ来てから芸術やアートと言われるものに触れる時間が随分と増えた。同時に芸術家と呼ばれる人と話すことも多くなった。これまでは「遠くで活躍しているらしい自分とは縁遠いであろう芸術家」だった人の日常に触れる時間を通して、自分の幅も広げていければと思う。

彼はメトロへ行ったのだろうか、と思いを馳せつつ、記事を続いて書けていることに少しホッとしている。


マーク・テ
『Baling(バリン)』

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わたしたちは歴史をいかに見るか。
10年をかけたドキュメンタリー演劇の意欲作がマレーシアから登場

1980年代に設立されたマレーシアのファイブ・アーツ・センターは、アクティビストやプロデューサーが主体的に参加する活動体として、彼の地のアートシーンにおいて強い存在感を放っている。本作『Baling(バリン)』の演出を務めるマーク・テは、そのファイブ・アーツ・センターの一員であり、演出家、キュレーター、研究者と多くの顔を持つ。
本作で取り上げる「バリン会談」とは、1955年、現政権(マラヤ連邦)とマラヤ共産党の首脳が直接対話をしたことで、マラヤ非常事態/革命闘争を終結させるための試みとして世界中の注目を集めた出来事。彼はこの会談に関心を寄せ、2005年以来実際の会談の採録を用いたドキュメンタリー・パフォーマンスの連作を上演。本作はその試みの集大成ともいえる。

会談記録やニュース映像などを用いた会談の再現の合間に、中心人物の一人であるマラヤ共産党書記長チン・ペンのイメージ形成をめぐる考察を織り交ぜることで、絶えず変形され修正されてゆく歴史のプロセスを検証する。アクティヴィストでもある4人の俳優が、個々の信条・思想的背景を背負ったまま演じることで、60年以上前の出来事と現代とが鮮やかに交錯する本作。公に語られずにきた歴史を明るみに出すだけではなく、我々に歴史への複眼的な思考を促すはずだ。

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>>マーク・テ インタビュー記事

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